明智小五郎(天知茂)は美術館で出会った小山田商会社長小山田六郎(根上淳)の妻・静子(佳那晃子)から相談を受ける。それは現在「週刊ミステリー」に連載されている大江春彦の小説「妖しい傷あとの美女」に記されたとおりに義理の娘の洋子(鶴祥代)がプールで水中ショーの最中に殺されたということ、静子自身の身の上にもその小説に書かれていた内容そのままのことが実際に起こったということだった。明智は怯える静子に対して事件の依頼を承諾するが、静子の首筋にみみず腫れの傷あとがあることが気にかかっていた。
「週刊ミステリー」最新号には「妖しい傷あとの美女」第二回が掲載されており、由美子という女がシャワー中にナイフで刺殺される様子が描かれていた。明智は出版社を訪れ編集者の本田(北町嘉朗)に大江春彦のことを尋ねる。だが大江の正体は謎に包まれており、原稿の受け渡しや打ち合わせも大江の妻と称する女を介して行われていた。
文代(藤吉久美子)と小林(小野田真之)の調査の結果、小説の由美子が小山田の社長秘書後藤由美子(親王塚貴子)であることが判明する。だが明智が由美子のマンションに駆けつけた時、由美子は小説どおり全裸で刺し殺されていた…。
この作品が結果的に天知茂さんの生前最後に放送された美女シリーズになってしまいました…。劇中で明智小五郎が健康診断をすっぽかすシーンを見る度に、「センセイ、あの時にちゃんと健康診断を受けていれば!」とつい思ってしまうのは、私だけではないでしょう。
原作「陰獣」は1928年(昭和3年)、当時創作意欲の枯渇で休筆していた乱歩が『新青年』編集長だった横溝正史の求めに応じて約2年振りで発表した中篇。乱歩の傑作のひとつに数えられていますが、ある意味で映像化が最も難しい作品ではないかと思います。と言うものこの小説は乱歩が一種のセルフパロディを描いているからです。
作中に登場する探偵作家・大江春泥の特徴が当時の乱歩について巷間伝えられていた人物像そのままであるばかりか、乱歩の作品「屋根裏の散歩者」「D坂の殺人事件」のもじった春泥の作品「屋根裏の遊戯」「B坂の殺人」等々の内容を模した事件が起きます。つまり「陰獣」と言うフィクションの中で、乱歩が過去に発表した実在の作品がなぞられるメタフィクション的な構造になっているわけです。これが読者を目晦ます仕掛けになっており、横溝正史は「前人未到のトリック」と絶賛しました。
ただしそれはあくまで小説と言う手法、そして乱歩がリアルタイムで活躍していた時代だからこそ通用する話。何十年も経って映像化するに際しては意味をなさないものになってしまいます。
何故ならテレビの視聴者は必ずしも乱歩の人となりや作品を承知しているわけではないのですから、乱歩自身をセルフパロディに使ったメタフィクションのトリックなんか何の効果も発揮しません。
現に、1977年に公開された映画版の
「江戸川乱歩の陰獣」(松竹、加藤泰監督)は、ストーリーこそ原作に忠実でありながら肝心のトリックが殆ど活かされていませんでした。皮肉にも原作に忠実たらんとすれば原作のエッセンスから程遠くなってしまうのです。
そこでこの「妖しい傷あとの美女」ではあえて大胆な改変を施しています。
まず物語の冒頭で正体不明の男、大江春彦=平田一郎(中尾彬)がワープロ(緑色の液晶文字が懐かしい)に向かってミステリー小説の原稿を打ち込んでいくと、その内容どおりにホテルのプールで殺人が行われ、更にその描写をする男のナレーションが被さっていきます。これは単に男の書いている小説の内容をフィーチャーしたイメージシーンなのか、それとも劇中で現実に起こっている出来事なのか、この時点ではまだはっきりしないのですが、やがてお馴染の波越警部(荒井注)らが登場し、このドラマのタイトルと同じ「妖しい傷あとの美女」と言う小説で予告されていたとおりに進行する現実の殺人事件であったことがわかります。
つまり「現在進行形で連載中の小説通りに殺人事件が起きる」と言うプロットで虚構と現実をクロスさせることで、視聴者に「フィクションの中に挟まれたフィクション」と強く印象づける狙いになっているわけです。勿論これに該当するシーンは原作にはありません。しかし原作のトリックを生かそうとした工夫は大いに評価されます。
調べてみると脚本の池田雄一は過去に推理物のドラマを多く手がけ、後には自らも推理作家として活躍した人なんですね。いずれにしろ原作を改変しながらも改悪にはせずに、可能な限り骨格だけを残して肉付けしたシナリオは、さすがプロの仕事です。
それに改変と言っても実は多くの部分で原作のストーリーに沿って展開してるんですよね。主人公を明智小五郎に置き換えているのは別として、例えば美術館(原作は博物館)で初めて静子と出会うことや小山田邸の天井裏のシーン、ヅラ姿の小山田六郎が殺されること、等々。その一方で所々現代(80年代)の最先端の風俗やアイテム、例えばテレフォン喫茶や無線電話などが活用されているシーンが今では興味深いです。
勿論原作のもうひとつのキモである、SM趣味も取り入れられています。
明智小五郎がSMグッズの専門店を訪れるシーンで映る昭和末期の新宿歌舞伎町の風景は、ある意味で原作に登場する昭和初期の浅草と好対照をなしています。歌舞伎町を歩く明智小五郎と言う、アンマッチだかなんだかよく分からない取り合せも面白いし、 SMグッズを前にして戸惑う天知茂先生の演技も見所です。
原作の探偵役が静子と愛欲関係に陥るプロットだけはさすがに明智に置き換えるわけにはいきませんでしたが、その代り静子と口付けを交すところまで行ってしまうと言う、このシリーズで許されるギリギリまで原作の筋立てに沿った描写になっています。
終盤から結末にかけては原作を離れた完全なオリジナルになっていますが、ラストで明智がワープロに向かって「妖しい傷あとの美女」の結末を記しているシーンが冒頭と対になっていることで、この物語をメタフィクショナルに円還させて締めくくっています。
難を言えば、小説と同時進行で殺人を行うと言う計画自体が突飛過ぎて必然性に欠けることですね。今まで小説など書いたことがなかった犯人が突然小説家として活動し始めるのは不自然過ぎます。しかし全体としては大きな破綻もなく、推理ドラマとして見応えのあるものになっていると思います。
監督の永野靖忠も、スリラーとアクションをテンポよく織り交ぜたメリハリのある演出は井上梅次監督時代のシリーズを髣髴させます。正直言って駄作揃いだったシリーズ終盤の中では例外的に出来のよい作品なので、返す返すも永野×池田コンビがこれ1作限りで終了してしまったのは残念です。
この作品から三代目の文代役として登場した藤吉久美子さんは、ちょっと世話焼き娘っぽいキャラクターこそ二代目の高見知佳さんをそのまま継承していましたが、その一方で聡明そうなところは初代の五十嵐めぐみさんに近い雰囲気も持っていたので次の作品が最後になってしまったのが惜しまれます。
ヒロイン静子を演じた佳那晃子さんは一見清楚で知的な反面、放心したようにさ迷う視線と半開きの唇がエロチックで、いかにもミステリー向きな女優さんの1人。 SMで鞭打たれるシーンでは責められながら恍惚の表情を浮かべるのが何ともいやらしいし、責める側の根上淳さんの表情も見所です。
変質者平田一郎役の中尾彬さんはギョロッとした目、低音の湿った声、むくんだ顔を覆った髭と長髪がいかにも変質者イメージそのもの。あまりにはまり役過ぎて笑ってしまうのですが、対する我らが天知茂も新東宝時代はエログロ物で鳴らしただけあって、負けていません。特に天井裏に這い上がった明智が覗き穴から寝室の静子を覗き込むシーンでは、その視線が名探偵の理性を忘れてアブノーマルの領域に行っちゃってるのが見逃せません。
ちなみに後藤由美子役の親王塚貴子さんは前衛演出家の武智鉄二が「本番映画」として製作した「華魁」(1983年)に主演した女優。その翌年には「秘蔵版 日傘の女」と言うポルノ映画に主演しているのですが、その監督・脚本を務めた「宇寿木純」とは、実は天知茂先生の別名です。。。