年 | 大映の出来事 | 映画界の出来事 |
1941年 (昭和16年) | 映画統制官民懇談会での永田雅一(中央)左端は松竹の城戸四郎 | 8月25日、映画企業を2社に統合する政府案が提示される。 9月19日、永田雅一(新興キネマ京都撮影所長)の折衝で新興キネマ、大都映画、日活製作部門の統合案が成立。 |
1942年 (昭和17年) | 1月10日、大日本映画製作株式会社(大映)創立総会を新興キネマ本社で開催。社長空席、専務に永田雅一、河合竜斎を選任。同27日、設立登記完了。 4月1日より業務開始。旧新興キネマ本社を本社とし、東西の旧日活、旧新興の4撮影所を以って発足。 5月14日、阪東妻三郎・片岡千恵蔵・嵐寛寿郎・市川右太衛門の時代劇四大スターを擁する第1回作品「維新の曲」(牛原虚彦監督)を公開。 「維新の曲」全撮影終了を祝い手打ちをする永田専務、阪東妻三郎、牛原虚彦監督らスタッフ 6月、「成吉思汗」(牛原虚彦監督)でモンゴルへ海外初ロケを敢行。 10月10日、会社設立を巡る贈賄容疑で永田専務が逮捕される(12月3日、嫌疑不十分で釈放) | 4月1日、映画配給一元化実施。 |
1943年 (昭和18年) | 3月1日、組織改革により東西の撮影所を各一箇所に統合。 3月25日、初代社長に作家の菊池寛が就任。 (左)社員に訓示する菊池社長 (右)永田雅一と菊池寛 10月28日、「無法松の一生」(稲垣浩監督)公開。 | 3月25日、「姿三四郎」(東宝映画)公開。 12月10日、東宝映画と東京宝塚劇場が合併し東宝株式会社創立。 |
1944年 (昭和19年) | 6月、本社を旧新興キネマ本社から日活ビル内に移転。 | *戦争激化により劇場閉鎖と配給停止が相次ぐ。 |
1945年 (昭和20年) | 5月25日、空襲で本社を半焼。 11月27日、社名を「大日本映画製作株式会社」から「大映株式会社」に改称。 12月30日、大映従業員組合結成。 | 8月15日、終戦。 9月22日、GHQ指令により剣戟時代劇が禁止される。 |
1946年 (昭和21年) | 6月20日、永田専務が副社長に昇格。 6月27日、「君かと思ひて」で三条美紀がデビュー。 | 2月28日、アメリカ映画輸入再開。 3月、第一次東宝争議。 9月21日、伊丹万作死去。 10月、第二次東宝争議。 |
1947年 (昭和22年) | 1月20日、東横映画と配給提携。京都分撮影所(旧新興京都撮影所)を貸与。 3月5日、菊池社長が文筆専念のため退任。同24日、副社長の永田雅一が社長に昇格。 4月29日、「第二の抱擁」で船越英二がデビュー。 12月、大映野球株式会社設立。 12月7日、河合専務ら重役5名が公職追放。 12月15日、臨時株主総会で川口松太郎が製作担当取締役に就任。 | 3月6日、新東宝発足。 3月31日、日映連発足。 11月7日、第一次公職追放者発表される。 |
1948年 (昭和23年) | 1月7日、永田社長が公職追放される。 1月15日、真鍋八千代が社長に就任。曾我常務、川口取締役が専務に昇格。 3月6日、初代社長菊池寛死去。 3月9日、「山猫令嬢」(三益愛子主演)公開。以後 「母もの」をシリーズ化。 5月22日、永田が追放解除される。 6月15日、永田が社長に復帰。 追放解除された永田を迎える須田東京撮影所長、及川千代、曾我専務、三條美紀、永田、相馬千恵子、川口専務 12月21日、プロ野球団「大映スターズ」発足。 | 3月、東宝の山本嘉次郎らが映画芸術協会設立。 4月、第三次東宝争議。 |
1949年 (昭和24年) | 2月1日、本社を京橋新社屋に移転。 京橋の大映本社 2月28日、「最後に笑う男」で京マチ子がデビュー。 4月、阪東妻三郎が退社。嵐寛寿郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門も相次いで退社。 8月12日、永田社長がアメリカ映画界視察のため渡米。 渡米する永田夫妻を空港ロビーで見送る暁テル子、山田五十鈴、三條美紀 | 6月14日、映倫発足。 7月19日、「青い山脈」(東宝)公開。 |
1950年 (昭和25年) | 1月23日、長谷川一夫の新演伎座と専属契約を締結。 4月6日、映画芸術協会と製作契約を締結。 7月10日、W.ディズニー及びS.ゴールドウィン・プロと輸入配給業務を正式契約。 8月21日、京都撮影所第二ステージ全焼。 8月26日、「羅生門」(黒澤明監督)公開。 「羅生門」京撮正門前での三船敏郎、京マチ子、黒澤明、森雅之 9月15日、洋画部を設立。 同16日、ディズニー長編アニメ「白雪姫」公開。 12月1日、「處女峰」で元宝塚の乙羽信子がデビュー。 入社した乙羽信子を迎える三条美紀、関千恵子ら | 3月21日、「また逢う日まで」(東宝)公開。 3月21日、近代映画協会発足。 4月、外国映画輸入統制撤廃。 9月22日、映画界にレッドパージ適用。 |
1951年 (昭和26年) | 1月20日、「絢爛たる殺人」で菅原謙二がデビュー。 4月28日、「銭形平次」(長谷川一夫主演)公開。 6月3日、永田所有の競走馬トキノミノルがダービーを制するも17日後に急死。 9月10日、「羅生門」が第12回ヴェネツィア国際映画祭グランプリを獲得。 11月1日、大映創立10周年記念祝賀式典を開催。 | 3月21日、国産初のカラー映画「カルメン故郷に帰る」(松竹)公開。 4月1日、東映発足。 11月、宝塚映画設立。 |
1952年 (昭和27年) | 3月10日、永田の息子秀雅が取締役に就任。 3月20日、「羅生門」がアカデミー外国語映画賞を受賞。 京都撮影所内の「羅生門」ヴェネツィア映画祭グランプリとアカデミー外国語映画賞トロフィーのレプリカ 3月27日、「長崎の歌は忘れじ」で若尾文子がデビュー。 9月、乙羽信子が退社。 10月23日、人気子役マーガレット・オブラエンと美空ひばりの共演作「二人の瞳」公開。 10月30日、アメリカから映画監督ポール・H・スローンを招聘した日米合作「いついつまでも」公開。 | 5月27日、東京映画創立。 |
1953年 (昭和28年) | 2月5日、「十代の性典」公開。 4月29日、「花の講道館」で第1回ミス日本の山本富士子がデビュー。 8月1日、永田秀雅が東京撮影所次長に就任。 9月5日、「雨月物語」(溝口健二監督)が第14回ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞を獲得。 「雨月物語」演出中の溝口健二監督(右) 10月13日、大映初のカラー映画「地獄門」(衣笠貞之助監督)を公開。 | 2月1日、NHKテレビ放送開始。 9月4日、日活、映画製作再開を発表。 9月10日、日活の製作再開に対抗して「五社協定」を締結。 11月3日、「東京物語」(松竹)公開。 12月28日、東映が二本立て興行実施。 |
1954年 (昭和29年) | 4月10日、「地獄門」が第7回カンヌ国際映画祭でグラン・プリに輝く。 8月、興行部門として「大映興行株式会社」設立。 8月25日、市川雷蔵、勝新太郎が「花の白虎隊」でデビュー。 9月7日、「山椒大夫」(溝口健二監督)が第15回ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を獲得。 | 4月26日、「七人の侍」(東宝)公開。 9月15日、「二十四の瞳」(松竹)公開。 11月3日、「ゴジラ」(東宝)公開。 |
1955年 (昭和30年) | 3月、大映所有の東映京都撮影所を東映へ売却。 3月30日、「地獄門」がアカデミー外国語映画賞と衣装デザイン賞を受賞。 オスカーを手にする永田雅一(左はイーディス・ヘッド) 5月3日、香港との合作「楊貴妃」公開。 7月、南田洋子が日活へ移籍。 7月20日、「幻の馬」公開。 9月21日、「新・平家物語」(溝口健二監督)公開。 「新・平家物語」市川雷蔵と溝口健二監督 | 8月、山本プロ発足。 12月29日、大蔵貢、新東宝社長に就任。 |
1956年 (昭和31年) | *二本立て興行時代へ突入。 2月29日、「虹いくたび」で川口浩がデビュー 3月、永田秀雅が常務・東京撮影所所長に就任。 3月18日、「赤線地帯」(溝口健二監督)公開。 6月28日、市川崑監督の移籍後第1作「処刑の部屋」公開。 8月24日、溝口健二監督が死去。 溝口健二の大映社葬 | 5月17日、「太陽の季節」(日活)公開。 |
1957年 (昭和32年) | 2月25日、大映ユニオンズ発足。 3月23日、曾我正史専務が辞表提出。同26日、日映株式会社の設立を発表。 5月2日、「白い山脈」(今村貞雄監督)が第10回カンヌ映画祭で記録映画賞を受賞。 6月25日、大映ビスタビジョン第1作「地獄花」公開。 7月21日、増村保造監督の第1作「くちづけ」公開。 10月29日、大映スコープ第1作「雪の渡り鳥」公開。 | 4月2日、日本初のスコープ映画「鳳城の花嫁」(東映)公開。 4月29日、「明治天皇と日露戦争」(新東宝)公開。 8月14日、日活が加わった「六社協定」発効。 |
1958年 (昭和33年) | 3月10日、大毎オリオンズ発足。 4月1日、オールスター映画「忠臣蔵」公開。 8月19日、「炎上」公開。 「炎上」セット前での市川崑監督と宮川一夫カメラマン 10月1日、「日蓮と蒙古大襲来」公開。テレビ製作室(現・大映テレビ)を設置。 | *映画総人口11億人台を突破。 |
1959年 (昭和34年) | *年間配給収入が前年までの業界2位から4位に転落。 4月9日、「講道館に陽は上る」で本郷功次郎がデビュー。 6月2日、一本立て大作主義を断行。 6月20日、日仏合作映画「二十四時間の情事」を洋画系で公開。 10月6日、一本立て興行が興行主の反対で一本ずらしの2週間二本立て(レンガ方式)に変更される。 11月、京都撮影所に時代劇専門の新人養成のため演技研究所を開設。 | *映画総人口が減少へ転じる。 1月、黒澤プロ発足。 1月15日、「人間の条件」(松竹)公開。 |
1960年 (昭和35年) | 1月、一本立て大作主義が頓挫し週二本立て興行に回帰。 3月23日、作家の三島由紀夫が主演する「からっ風野郎」公開。 「からっ風野郎」休憩中に談笑する三島由紀夫と若尾文子 4月26日、川口浩と野添ひとみが結婚。 9月、永田秀雅が専務に昇格。 9月1日、勝新太郎主演「不知火検校」公開。 「不知火検校」中村玉緒、森一生監督、勝新太郎 | 3月1日、第二東映発足。 10月12日、大島渚監督の「日本の夜と霧」(松竹)上映4日で打ち切り。 |
1961年 (昭和36年) | 9月、倒産した新東宝から宇津井健、万里昌代らが入社。 9月、武州鉄道汚職事件に連座し永田社長が逮捕される(後に無罪) 9月30日、「悪名」公開。 11月1日、日本初の70ミリ超大作「釈迦」を公開。 | 2月21日、赤木圭一郎が事故死。 4月25日、「用心棒」(黒澤プロ・東宝)公開。 9月1日、新東宝倒産。 9月、大島渚が表現社設立。 |
1962年 (昭和37年) | 3月5日、勝新太郎と中村玉緒が結婚。 4月18日、「座頭市物語」(勝新太郎主演)公開。 「座頭市物語」クランクイン前に勝新太郎の断髪式を行う万里昌代、中村玉緒、三隅研次監督 5月31日、大毎オリオンズの本拠地「東京球場」完成。 7月1日、「黒の試走車」(田宮二郎主演)公開。 8月、川口浩、野添ひとみが退社。 11月1日、70ミリ第2作「秦・始皇帝」公開。 12月1日、「忍びの者」(市川雷蔵主演)公開。 「忍びの者」山本薩夫監督と市川雷蔵 | 4月20日、ATG発足。 7月、三船プロ発足。 9月16日、「切腹」(松竹)公開。 12月、石原プロ発足。 |
1963年 (昭和38年) | 2月26日、山本富士子がフリーを宣言し五社協定違反で追放される。 3月25日、「秦・始皇帝」の不振や設備投資の債務累積で無配に転落。 4月13、18日、大映労組が48時間スト。 長谷川一夫が5月22日公開の「江戸無情」を最後に映画界を引退。 7月13日公開の「風速七十五米」を最後に若手ホープの叶順子が引退。 11月2日、「眠狂四郎殺法帖」(市川雷蔵主演)公開。 「眠狂四郎」原作者の柴田錬三郎と市川雷蔵 | 12月12日、小津安二郎没。 |
1964年 (昭和39年) | 3月28日、米ユナイテッド・アーティスツ社と共同製作した特撮アクション映画「あしやからの飛行」を洋画系で公開。 「あしやからの飛行」で共演したジョージ・チャキリスと滝瑛子 5月2日、「宿無し犬」(田宮二郎主演)公開。 | 2月15日、「砂の女」(勅使河原プロ)公開。 8月17日、佐田啓二が事故死。 9月30日、東映が東急グループより離脱。 |
1965年 (昭和40年) | 3月13日、「兵隊やくざ」(勝新太郎主演)公開。 4月9日、TV「ザ・ガードマン」(TBS)放送開始。 5月21日、労使紛争がこじれ東京撮影所に機動隊出動。 5月31日、田宮二郎と藤由紀子が結婚。 8月、人員整理を行い希望退職者を募る。 11月27日、特撮怪獣映画第1作「大怪獣ガメラ」公開。 | 3月20日、「東京オリンピック」公開。 4月3日、「赤ひげ」(黒澤プロ・東宝)「網走番外地」(東映)公開。 8月30日、松竹京都撮影所の閉鎖決定。 |
1966年 (昭和41年) | 3月、永田秀雅が副社長に昇格。 3月、勝新太郎が「勝プロダクション」を設立。 4月17日、特撮時代劇「大魔神」公開。 「大魔神」の原型を見る安田公義監督、美術の内藤昭、黒田義之特撮監督 6月4日、「陸軍中野学校」(市川雷蔵主演)公開。 11月26日、「女の賭場」(江波杏子主演)公開。 12月24日、政府融資映画第一号としてソ連と合作した「小さい逃亡者」公開。 | 2月、黒澤プロが東宝から完全独立。 4月28日、黒澤プロと米フォックス社提携し「トラトラトラ」製作を発表。 |
1967年 (昭和42年) | 3月、大映レコード設立。 8月28日、巨額負債が表面化し三浦信夫ら重役8人が退陣。 9月6日、丸井太郎が自殺。 | 1月21日、経営不振で日活の江守常務ら6重役退陣。 |
1968年 (昭和43年) | *横浜、五反田などの直営館を売却。 4月1日、洋画部と東京第一フィルムが合併、大映第一フィルムと改称。 6月11日、市川雷蔵が直腸癌で入院。 6月29日、「不信のとき」出演序列問題で田宮二郎が退社。 | 2月17日、「黒部の太陽」(三船プロ・石原プロ)公開。 4月26日、日活が鈴木清順監督を解雇。 9月14日、「緋牡丹博徒」(東映)公開。 12月24日、黒澤明監督が「トラトラトラ」を降板。 |
1969年 (昭和44年) | *新潟、三条などの直営館を売却 2月10日、市川雷蔵が再入院。 3月、元専務の曾我正史が取締役に復帰。 7月17日、大黒柱の市川雷蔵が死去。 8月9日、「人斬り」(勝プロ)公開。 8月30日、「いそぎんちゃく」(渥美マリ主演)公開。 「人斬り」五社英雄監督と三島由紀夫 | *映画総人口3億人台を割る。 8月27日、「男はつらいよ」(松竹)公開。 12月27日、松竹会長大谷竹次郎没。 |
1970年 (昭和45年) | 3月9日、日活と提携しダイニチ映配株式会社の設立を発表。 5月、東西両撮影所の一部と池袋、梅田などの直営館を売却。 5月30日、ダイニチ映配スタート。 8月22日、「高校生ブルース」で関根恵子が主演デビュー。 | 1月1日、日活が本社ビル売却を発表。 1月25日、円谷英二没。 8月14日、「戦争と人間」(日活)公開。 |
1971年 (昭和46年) | 1月25日、オリオンズを売却し球団経営から撤退。 3月、京橋本社ビルを売却し八重洲口の共同ビルに移転。全従業員の4分の1を解雇。 9月、副社長に安本浩三(緑屋専務)が就任。 10月1日、ダイニチ映配を解消。大映配給株式会社を設立。 10月15日、大映テレビが分社独立。 10月16日、「成熟」公開。 「成熟」湯浅憲明監督と関根恵子 11月20日、最後の配給作「悪名尼」「蜘蛛の湯女」公開。 11月29日、業務全面停止と全従業員解雇を発表。 12月21日、不渡りを出して倒産(23日、破産宣告) | 1月15日、東宝が製作部門を分離。 6月1日、日活社長堀久作辞任。 8月17日、東映社長大川博没。 11月、日活がロマンポルノ製作を開始。 12月22日、黒澤明監督が自殺未遂。 |